2年間の学び
2009.11.02 (Mon)
今日は、朝からブルブルした人が沢山いたことでしょう。木枯らし吹いてますよ
「ダウンだ! もうダウンしか対策がない
」 と強く思った、朝晩のお散歩・・・で、
土曜日の夜から、喉が痛くて、だるくて、悪寒が・・・
昨日は散歩以外、一日安静に
元々、扁桃腺が弱く、ここのところ、「まずいなー」というl危険兆候が出て、
こまめにウガイはしていたけど、
2日間、ほと初対面な100名強の人々へ、気を遣い、お愛想をし、その中を動き回る といった
全く、普段やり慣れないことをしたのが敗因
実は、
先週、叔父が亡くなり、お通夜&告別式の受付や雑務におわれていたのです
86歳だった叔父は、会社の役員をしていて、70歳で退いたというのに
150名もの弔問があり、そりゃもう受付担当=私は大忙しでした
2年間の長きにわたり、闘病生活というか、いつ逝ってもおかしくない状態が続いていたので
現場には”お疲れ様”といった空気が流れ、語弊はありますが、終始明るい感じでした
2年間、叔父の介護をした叔母は、その間、やせ細り、不眠症、そして軽いノイローゼ状態
ひとり息子がいたけれど(私にとって従兄弟)、28歳の若さで脳腫瘍で他界
その後、叔父夫婦は二人っきりで、支え合いながら生きていた
幸いなことに裕福なので、高級老人ホームに二人で入居し、
自宅で療養、隣の棟には病院が、24時間365日完全看護といった、恵まれた生活をしていた
ニュースやドキュメンタリーで放映されている、老老介護の悲惨な感じは微塵もなかった
が、目が飛び出すような入居費用、毎月の生活費、治療代、を払っても、医療の現場は、
ニュース報道どおり医師、看護師が不足し
こちらが望むようなケアはしてもらえず、何度もトラブルが起きていた
この2年間、叔母をサポートしていたのは、彼女の弟=私の父であり
何度も何度も”危篤”状態におちいり、明け方でも呼び出されれば、いつでも行っていた
「こんな生命力が強い人は看たことがない」と 担当医に言われた叔父
本来は、我が道をいく強い叔母 より
何より、私が心配だったのは、そこに完全に巻き込まれている父親だった
唯一近くにいる自分の姉に頼られれば、嫌とは言えないのである
が、いつ亡くなるかわからない状態というのは周囲にとっては大変なことなんですよ いや本当に。
うちの家族の、混沌とした日々はようやく明けた 心底ほっとしている
この2年間、私は、時々お見舞いに行っただけだったけれど
老齢になったときに、どれほどお金が頼りなるのか
お金がないと、いかに悲惨なことになるのか
身近な存在から学んだ
さらに、叔父が亡くなった当日は、半狂乱に泣き続けた叔母は
以降、ほとんど泣いていない
お清めの食事の時など
「ようやく介護から解放された
これからは未亡人ライフを楽しまなくちゃ
」と力強くコブシを挙げていたのをみて
「えーーーーーーーーーーーーーーー」 ちょっと早過ぎじゃ

女性は強い、だから、未亡人ばかり増えるのである
家事、介護から解放され、失った時間を取り戻すかのようにアクティブである
叔母レベルの生活をするには、○○○○万円が必要なのか・・・・
月々の生活費が○○万円。。。 それからそれから
と考えを巡らせた2年間
生きていれば必ずやってくる老齢
総合的な見解として
”老齢前に十分な準備が出来るか否か” それが老後を大きく左右する
お金のの事ばかりで下品になりましたが、これ現実ですよ
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